11/12/25(Sun)
◆クリスマスなので(?)、恋愛ネタについてダラダラと書きたいと思います。
といっても、失恋ネタなわけだが。
興味がない方は、スルー推奨。
◆今年の春、何年かの間、付き合っていた女性と別れた。
別れたというか、まあ、私にしてみれば、体よくフられたと認識している。その彼女とは、付き合ってしばらくしたのちに結婚を申し込み、みごと承諾を得たのだが、当面は先方の仕事が多忙ということで、実際に行動に移すのはしばらく先ということになった。
彼女は医師であり、平素から極力ラクをして生きることをモットーとしている私とは対照的に、年に360日は働いているのではあるまいかという勢いである。
事実、クリスマスはもとより、盆や正月なども、休んでいるのを見たことがない。
「勤務医が酷使されている」とはよく言われることだが、本当に過酷である。そんな彼女の毎日を知っている私としては、「今日明日にでも結婚してくれ」などと言えないことは重々承知していたので、とりあえずは我がプロポーズが受け入れられたことを喜び、また、言うべきことを言った己の男っぷりを自賛した。
だが、やはりこういうのは勢いが大事なのであろう。
私のプロポーズを受けたはずの彼女は、翌年も、その翌年も腹を決めず、仕事の忙しさを理由に、結婚を先延ばしにし続けた。
私としても年に1、2度「どうするのか」という話を振ってはみるものの、あまり追い込みすぎて、彼女に「こいつは、余裕がない男だ。」
などと思われるのも本意ではなかったから、なんかそれらしい理由を述べる彼女に対して深追いはせずに、「そうか、そうか」と鷹揚に答えてみせたりした。
そしてこの春、久しぶりに会ったある日、
「なんか、結婚したいと思わなくなった。」
「MAS-Rさんは別の人と結婚して、早くご両親を安心させてあげてください。」などと、妙に冷静な態度で、彼女は言いだした。
まさかそんなことを言われるとは思っていなかった私は、心臓の鼓動が高ぶるのを認識したが、女性が結婚話を蹴るからには、よほどの決心があるに違いなく、そしてその決心は、おそらくかなり以前から固まっていたものに違いない。
「まさかそんなこと言われるとは思っていなかった」と上では書いたが、彼女の本心が明らかになってしまえば、なんてことはない。彼女の心がこの時既に離れていたであろう兆候が、この半年ほどの間に見え隠れしていたことが、いくつも思い出された。「なんで」「どうして」と聞きたい気持ちもあったが、そんなことを聞いてもはじまらないので、ごくりと唾を飲み込んで、
「そうですが。分かりました。」
とだけ答えた。
早々に食事を切り上げた帰り際、軽口のつもりで、「いや、こんなことになるなら、あの時、ムリヤリにでも結婚しといた方がよかったな。」
と言ってみたところ、彼女は、
「そうですよー。」
などと笑った。
極めて不愉快だった。
自分の都合で散々待たせた相手に、「そうですよ」ってなんだ。この時、彼女に対する愛情のようなものは一瞬で消え果て、こんな相手と結婚しないでよかったという思いが、私の心を満たした。
最後はいたって形式的に、「今まで、ありがとうございました。」
と告げて別れた。
彼女とは、それきりである。……顛末としては以上。
彼女がどうして「結婚したいと思わなくなった」などと言いだしたのかは、知る由もない。
今にして思えば、理由を聞いてみてもよかったと思うが、その時、リアルタイムでフられつつある私は、極力精神的なダメージを最小限にしようと思ったのか、怖くて聞けなかった。もちろん、男女のことである。別れの原因が、どちらか一方の落ち度ということは、まずない。
両方悪いといえば悪いし、悪くないといえば悪くない。ただ、こういう結果を招いてしまった私の判断ミスとして考えられるのは、やはり何といっても、相手に時間的な猶予を与えすぎたということに尽きる。
その点では、彼女の「そうですよー」は正しい。結婚をするとなれば、そこに至るまでに乗り越えるべきイベント(親へのあいさつ、職場への報告、結婚式の段取り等)も多くあり、また、結婚してしまえば、今までの生活スタイルとは大きく異なった毎日を送ることになる。
はっきりいってしまえば、面倒きわまりないことなのであるが、そうした面倒事を受け入れる覚悟は、やはり「勢い」から生まれるものだ。
そして時間の経過は、勢いを減退させる。
プロポーズしたその時に、「結論を出すのは、いつまでか」と期限を切った話をしなかった時点で、熱意はどんどん低下するものだし、結婚をしなくても付き合い続けることができるのだから、まだいいや……という「現状維持の安堵感」に身を任せたくなるものだ。
それは、彼女もそうだし、きっと私も同じである。
結婚はまだかと問いながらも、心のどこかで、「まだなら、まあそれはそれで……」
と思っていたのだろうと思う。
その結果が、この体たらくだ。
「なーに、こういう思いをするのも、また人生経験だ。」
という前向きな考え方もあるが、私が思うに、こんな人生経験など、する必要は全くない。
現に、世の中の大半の人は、交際相手にプロポーズをした後、順調に結婚へと至っているであろう。
その大半の人よりも、私の方が人生経験という指標において、なにか優位に立っているものがあるとは思えないし、あったとしてもそれは、大半の人にとって必要のない経験であろう。これは、映画や小説の中の主人公の人生ではない。
他ならぬ自分の人生なのである。
長く付き合った相手とは、最終的に結婚することに成功した方が、人生経験としても、また、物語としても良いに決まっている。彼女とすごした30代の前半は、無駄になった。
すごろくで言えば、「ふりだしに戻る」状態である。だが、この経験から学んだことは、ゼロではない。
順風満帆に結婚まで到達できた人には無価値な経験であろうが、これから結婚に向けた行動を取ろうと考えている人にとっては、他人の失敗には聞くべき価値があるはずだ。今夜はクリスマスプレゼントとして、そのマヌケな経験から得た成果――ほとんど、悟りのようなもの――をここに列記したい。
諸兄らの人生において他山の石としていただければ幸いである。なお、本稿において前提としているのは、
・30歳前後の結婚適齢期にある
・まあ、結婚はしたいな、してもいいかな、と思っている(=結婚というシステムを嫌っていない)という人である。
【結婚しない相手と付き合うのはムダ】結婚する気がない、または、結婚に適さない相手と交際を続けることは、人生の浪費に他ならない。
10~20代の若い頃であれば、結婚など視野に入れない付き合いもいいだろう。最終的に別れへとつながったとしても、それは人生の一部を彩るアクセントになりうる。
だが、結婚を視野に入れた男女が、将来につながらない恋愛に時間を費やすなど、これほどバカバカしいことはない。そんな不誠実な相手はさっさと切り捨てて、次を探すべきだ。
今、手の中にあるものを捨てるのには、多少勇気が必要だ。
ともすれば、安楽な「現状維持」の誘惑に負けそうになる。
だが、その手の中にあるものは、いずれ腐る類のものであることを忘れてはならない。時間は有限である。
共に歩む未来を描けない相手と交際を続けていられるほど、あなたも私も、すでに若くはない。
【結婚するまで油断してはならない】結婚したいと思っている人は、結婚するまで油断をしてはならない。
交際相手が結婚を真剣に考えてくれない場合、「この人は、本当に結婚してくれる相手なのか」ということをよくよく吟味すべきだ。真意が不明瞭な相手と付き合っている最中に、自分と真剣に付き合いたい、最終的には結婚したいと考えている相手が登場したり、あるいは、良好な見合いの話が舞い込んだとする。
表面的な誠実さで考えれば、そのような話は拒絶するのが妥当である。
なにしろ、自分には今、付き合っている人がいるのだから。だが、これらの機会は無駄にすべきではない。
今付き合っている相手は、自分との未来を真剣に考えていない相手なのである。そのような相手に忠義だてしても、散々引っ張られた揚句、フられることになるかもしれない。
であれば、そのような不誠実な相手に義理を立てるよりも、今、自分との将来を真剣に考えてくれる(または、くれそうな)人がいることについて、もっと興味を持つべきだ。あなたが付き合っている人は、あなたの未来に対して責任を持とうとしていない。
そのような者との付き合いを継続しているがために、別の未来の可能性から目を背けるのは、実にもったいないことである。
「今は付き合っている人がいる」という現状に安心・油断してはならないのだ。その不誠実な交際相手との別れが来た時、あなたはきっと「あの時の、あの人」との、あったかもしれない未来がすでに失われたことを悔いるであろう。
※もちろん、今付き合っている相手との恋愛が何物にも代えがたく、他の人からのアプローチを受けるなど考えられないということであれば、現状維持でも構わない。
だが、それは本稿がおいている前提条件ではない。
【ひとり身の時間を大切に】そうは言っても、現実としてこのようなことになってしまった。
このような現状は、全く価値がなく、一刻も早く打破すべきものか?交際相手と別れて、ひとり身になったことで得るものがある。
それは、精神的な自由だ。
万事、しがらみの多い結婚適齢期の男女が得る精神的自由は、貴重なものである。交際相手がいる状態では、真に精神的な自由と呼べるものは、なかなか得がたい。
次の週末に約束が入るかもしれないから、予定を入れずに空けておこうと気を使ったり、友人らと旅行に行っても、おみやげのひとつも買って帰らねばと気を使ったりと、たとえ体は自由を得ていたとしても、行動や思考が縛られるものだ。晴れて別れたからには、久々に得た尊い自由を満喫したいものである。
ひとりで好きなことにお金を使ってもよいし、家族や友人との時間を大切にしてもよい。この貴重な時間を、
「早く次の相手を探さなくちゃ!」
などと、交際相手を獲得することに汲々として過ごしたのでは、もったいない。
このような人は、異性と交際することが目的化しており、おそらく同時に、結婚することが目的化しているであろう。
思考から「何のために」が抜けている人は、いつまでたっても幸福を実感することができないものである。そんなわけで、私は今年のうちは、この自由を満喫しようと、特に婚活の類をせずに、気ままに過ごすことに決めた。
何か新しい出会いに期待するのは、まあ、来年からでよかろう。
今年いっぱいは、「喪に服している気分」を盛り上げて(?)いこうと思うのである。なお、下世話な話だが、付き合う人がいなくなると、資金収支が改善する。
今までデートに要していた出費がゼロになるのであるから、放っておけば金が貯まるようになる。
しかも、私は今まで、結婚資金としてある程度の貯金をしてきたのだが、その必要性も当面はなくなったことから、それを取り崩して、ここはひとつ、舶来モノの時計でも買ってやろうかとたくらんでいる。交際相手を失うということは、同時に自由を得ることだ。決して、マイナスだけではない。
結婚の覚悟を決めた人にとっては、そのような自由に価値を見出しにくいかもしれない。
だが、いずれまた、見知らぬ誰かと出会って、やがては結婚したいと考えているのであれば、その自由はつかの間の自由であり、限られた自由であれば、心から満喫すべきものだ。
【いわゆる「結婚への焦り」について】これは男性よりも女性の方に、より強い強迫観念として覆いかぶさってくるものだと思うが、結婚適齢期を迎えた者には「結婚への焦り」のようなものが芽生える、ということになっている。
そして、それはしばしば、付き合っている相手がいない者の不安感を煽り、「早く、誰か見つけなきゃ」
という形で、せきたてる。
だが、上述した私の一連の経験からすると、彼女と別れた今よりも、付き合っていた当時の方が、「結婚への焦り」のようなものが強かったように思える。
それはそうであろう。
「今、付き合っている人がいるのに、その人が自分と結婚する気があるのかないのか分からない。」
という状態は、誰でも不安になるものだ。
そして焦りは、不安から生まれるものである。そもそも、誰とも付き合っていない状態であれば、結婚を焦る以前の問題である。
「まずは付き合う人を見つけろ、話はそれからだ。」
としか言いようがない。
結婚を焦る土俵にすら乗っていないのである。
現状を打破したければ、とにかく自分でやれることをやればよい。
自分の行動でどうにかなる問題について、なにもせずに焦るのは、滑稽である。だが、付き合っている人がいて、その人が結婚に対してどう思っているのか分からない時の焦りは、その比ではない。
すでに「結婚をするかもしれない人」の枠は埋まっているのに、その枠の中に居座る相手の気持ちは分からない。
いくら付き合っているとはいえ、自分と相手は別人格。相手の「本当の気持ち」は、こちらではコントロールできないのである。そんな相手と、はたして、このまま付き合いを続けてもよいのかどうか。
別に、相手が嫌いになったわけじゃない。
でも、このままダラダラ引っ張られて、何年か経った後に別れることになっても困る……「結婚を焦る」とは、このような状態を言うのである。
それが分かったのも、彼女と別れてからのことだ。
過去数年の私は、まさに「結婚を焦っていた」と言っていい心境だった。
今は非常に心穏やかに、「誰か素敵な相手がいたら付き合いたいけど、とりあえずはダイエットでもするか。」
などとのんきに考えている次第である。
交際相手がいる時よりも、いない今の方が精神状態は安定的だというのはおもしろいな話だが、人間が相手である以上、こういうことはしばしば起こりうる。
【寂しさとは何か】マスコミなどで吹聴されるステレオタイプとしては、たとえば、
「クリスマスをひとりで過ごすのは、寂しい」
というものがある。
だが、実際のところはどうであろう。
私が思うに、小学生女子でもあるまいし、「誰かと一緒に、同じところにいないと寂しい」などと考えるのは、精神的な未熟さを露呈しているように思えてならない。
ひとりならひとりで楽しむ方法はあるし、誰かと一緒に楽しむ方法もまた、あるものである。少し考えてみれば分かることだが、本当の寂しさとは、
「誰かと一緒にいるにもかかわらず、その人と心が通っていないと感じる。」
ことから生まれるのだ。
たとえば、子供の社会においては、友人らから無視されたり、仲間外れにされたりするようなことが、頻繁に起きる。
クラスの全員から無視されている子供は、寂しくないと言えるだろうか。「その子は、数十人が群れなすクラスの中にいるのだから、寂しくない。」
などと言う者があれば、きっとその者はバカであろう。
男女関係においてもまた同じ。
同じ恋人同士であっても、実は片方が誠実さを欠いていて、真剣に相手と付き合っていない場合、もう片方がいかに献身的に、真心をこめて相手と接しても、空しくから回るだけである。ある日突然、どちらかが別れを切り出す時、フられた方にとってはまさしく青天の霹靂にも等しいが、フった方はどうであろうか。
「今朝、急にフりたくなった。」ということはまずない。
実はそれ以前から、相手に対してすっかり心が離れてしまっているものだ。フられた側にしてみれば、フられたこの瞬間からさかのぼること数カ月、実は自分を大切に思ってくれていない相手に好意を向け、好意を引き出そうとしていたことに気付く。
もちろん、相手のそのような空虚な態度は、なんらかの「兆候」としてこちらにも伝わってきたであろう。
だが、多くの場合、そのような感覚を否定して、なお一層、相手の好意を引き出そうと心を砕くことになる。そして、フられたこの瞬間、全てに気付く。
「あのとき感じていたアレが、寂しさであるのだな。」
と。
私の場合、認識できる範囲で半年間、あるいは1年以上もそれが続いていた(ということに、この春ようやく気付いた(笑))わけで、彼女と会う都度感じていて、そして必死に否定していた寂しさの、なんと重く積み重なっていたものかと驚かされる。
ひるがえって今年はどうかというと、過去に抱いていた無意識下の不安がなく、極めて平穏なクリスマスを過ごせている。
昨晩など普通に、エロゲーでオナニーしたくらいだ。(聞いてません)女性同士の会話の中で、
「A子は彼氏がいてイイよね。私なんか今、誰とも付き合ってないから寂しい毎日だよ。」
といったような会話が持たれるものだが、A子が本当に「イイ」のかどうかは、A子にしか分からない。(場合によっては、A子にも分かっていないかもしれない。)
クリスマスでも老後でも、なんでも結構だが、「○○をひとりで過ごすのは、寂しい」などという子供だましな言説を、鵜呑みにする必要はない。
恋人同士で過ごすクリスマスが必ずしも幸せとは限らないし、家族に邪魔にされて寂しく余生を送っている老人などいくらでもいるのだ。
【精神的ダメージの低減】何が原因で別れに至ったにせよ、フられた側にはそれなりの精神的なダメージが残るものだ。
「一体何が悪かったのか」「どうすればよかったのか」などと、愚にもつかない思索がループしてしまい、数日間は睡眠不足になることもある。だが、人間の体はうまくできているもので、翌週には苦しみも半分に、さらに翌週にはまた半分に……といった具合に、自然となんとかなってくる。
いわゆる「時間が解決してくれる」というやつだ。加えて、自分でできるコントロール法として、「誰かに相談する」というのも、古典的な手段だ。相談といっても、実質、グチになるが。
とはいえ、恋愛相談ができる友人・知人を持たない人もいるであろう。そういう人にオススメできるのが、運動だ。
体を動かすことで、精神の安定を図るというのは、よく知られた方法であり、実際に有効だ。
運動は、少しキツめの、息が上がってしまうくらいのものがいい。
ヒーヒー言いながら運動をしていると、思い悩むだけの酸素を脳に回せなくなるのか、グルグルと脳内をめぐっていたしょうもない思索が中断するのである。
こういうのは、早めに「中断できる」ということを認識するのが肝心だ。
私の場合、フられた次の日は2時間ほどプールで泳ぎ、その翌週には登山に向かった。
これによって、フられた直後の精神的不安定さは解消できたと思う。ただ、こういう回復過程に追い打ちを喰らうと、結構辛い。
たとえば、「フられた直後に、友人から結婚式の招待状が届いた。」
といったようなシチュエーションだ。
別に、精神的な修行をしているわけではないのだから、無理に心労を重ねる必要はない。
もし、「こんなときに他人の幸せを見せつけられたら、魂が壊れるわ!」
と思ったのであれば、見ないようにするのも自己防衛の手だ。
私としても、今まで順風満帆な人生を送ってきたわけではない。
他人を妬んで苦しんだことも一度や二度ではない。
したがって、時々大きくヘコむことがあるのだが、一方で、このようにすればダメージを低減でき、最悪、なにもしなくても、時間の経過とともに立ち直れるのだ……ということを知っている。「時間が解決してくれる、ということ」を認識することは、人生を楽しく生きたいと希望する人みんなが知っておくべきことだと思う。
――以上雑多な内容だが、書いてみた。
書いてみてあらためて思ったのだが、あれはもう、自分の中では完全に過去の出来事になっているなーと。
もっと暗い気持ちを引っ張ると思ったけど、そうでもなかった。そういう意味では、彼女と結婚しないで良かったと思う。
◆かくして、奔放な独身貴族の生活は、もうしばらく続きます。